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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)2446号 判決 1970年6月10日

主文

原判決を次のとおり変更する。

別紙目録記載の建物の所有権が被控訴人に属することを確認する。

控訴人は被控訴人に対して被控訴人から金二三〇万円の支払を受けると引換えに別紙目録記載の建物につき東京法務局北出張所昭和四一年三月七日受付第七一一七号をもつてされた売買を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

被控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「控訴棄却」の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は次に附加するほか原判決事実欄記載のとおりであるからこれを引用する。(但し原判決四枚目裏六行目に「昭和四一年」とあるのは「昭和四〇年」の、同丁末尾から二行目に「同四一年三月三一日」とあるのは「同四一年二月末日」の各誤記と認め、それぞれ訂正する。)

(控訴人の陳述)

(一)  本件売買代金は金三〇〇万円である。そもそも被控訴人が昭和四〇年七月下旬頃控訴人に対し本件建物を代金三〇〇万円で売渡すことを約したので、控訴人はその頃被控訴人の代理人矢部謙吉に対し内金一〇〇万円を支払つたが、ついで同年八月二五日公正証書作成の際には同証書上の売買代金を税金対策のため金二〇〇万円とし、即日控訴人は被控訴人に対し更に現金九三万円と前記謙吉が控訴人のため取立てていた家賃金七万円をあわせ計内金一〇〇万円を支払つたものである(この点さきに「現金九三万円、後は被控訴人自ら賃貸人から取立てる約であつた」と主張したが、訂正する。)。同年七月下旬頃控訴人から、矢部謙吉に交件した前記の内金一〇〇万円について、被控訴人は控訴人から被控訴人の夫矢部謙吉に贈与されたものであると主張するが、贈与する何らの理由はない。

(二)  右建物売買に伴う敷地賃借権譲渡の承諾を得るため地主に支払うべき承諾料二〇万円は、本件売買契約当時控訴人と被控訴人の間で被控訴人が負担することに特約されていた。仮りに特約がなくても、売主がこれを負担するのが慣行である。

(三)  従つて、売主たる被控訴人は、敷地賃借権譲渡につき自らの費用で地主柏木平八郎の承諾を得る特約ないし慣行上の義務があり右義務履行は控訴人の残代金七〇万円の支払義務と同時履行の関係にあると解すべきであるに拘わらず、被控訴人において右義務を履行しないで単に残代金の支払を催告し、右支払に応じないからといつて本件売買契約解除の意思表示をしたのは、同時履行の関係にある債務の履行もしくは提供なくして行つた催告にもとづく解除として無効である。

(四)  なお、右土地賃借権譲渡につき、被控訴人が承諾料を負担して地主の承諾を受ける義務を履行しないため、控訴人はやむを得ず昭和四一年四月二七日右承諾料を立替えて地主に支払い、右譲渡の承諾を得たから、その頃被控訴人に対し右承諾料金二〇万円の立替金償還債権をもつて本件売買残代金債務と対当額で相殺する旨意思表示をしたことは既に第一審で述べたとおりである。然るに、右のような事情のもとにおいて、「控訴人から相殺の意思表示がなかつた」という理由でこれを差引かないのは過当催告であるのみならず、この催告に応じないからといつて本件売買契約を解除するが如きは、信義に反し権利の濫用である。

(五)  本件売買残代金七〇万円から右立替金二〇万円を差引いた残額金五〇万円は、被控訴人において取立の上控訴人に対して支払うべき金三二万二〇〇〇円の賃料収入(原判決四枚目裏(ロ))及び金一七万八〇〇〇円の損害金内金(同五枚目表(ハ))と相殺する契約が右公正証書(第八条)によりなされていたのみならず、昭和四一年四月末頃重ねて右相殺の意思表示をしたから、被控訴人が本件売買契約解除の前提として主張する控訴人の残債務はない。それ故、控訴人としては本件抹消登記請求に応ずべき義務はなく、仮りにその義務があるとしても、約定代金金額等金三〇〇万円の返還を受けるまでは履行することを拒み得る。

(被控訴人の陳述)

(一)  本件建物売買における代金の約定は金二〇〇万円であつて、金三〇〇万円ではない。控訴人が「右代金金三〇〇万の内金として公正証書作成前である昭和四〇年七月頃別途支払つた」と主張する金一〇〇万円は控訴人の夫鳥居正吉が被控訴人のいわゆる面倒をみる下心から矢部謙吉(被控訴人の夫)に対し贈与したものであつて、被控訴人は受領していない。

(二)  矢部謙吉が、本件建物の賃料収入の一部を受領したことがあつたとしても、右は同人が控訴人から贈与を受けたことに基づくもので、本件売買代金の一部に充当されたものではなく、またさるべきものでもない。従つて、本件代金の内金として被控訴人が受取つたのは金一三〇万円にすぎず、家賃収入を右内金に充当した事実も、かかる約定もない。

(三)  控訴人主張の権利濫用の抗弁は否認する。

(四)本件公正証書により、控訴人主張の相殺契約がなされたことは否認する。

(五)  控訴人がその陳述を前記(控訴人の主張(一)参照)の如く訂正することには異議がある。

(証拠)(省略)

理由

(一)  被控訴人が控訴人に対して原判決添付目録記載の建物(本件建物と略称)を売渡す契約を締結し、右売買代金を金二〇〇万円と定めた公正証書が昭和四〇年八月二五日作成されたこと、控訴人が同日被控訴人に対し右内金一〇〇万円を支払い、その後残代金のうち金三〇万円を支払つた(控訴人は昭和四〇年一二月二〇日金二〇万円、同四一年三月二三日金一〇万円の支払を受けたと主張し、被控訴人はこれを明らかに争わない。)こと、被控訴人は控訴人に対し昭和四一年五月一九日同人到達の書面を以て本件建物売買契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いなく、本件建物に昭和四一年三月七日東京法務局北出張所受付第七一一七号を以て控訴人のため所有権移転登記のなされていることは控訴人の明らかに争いないところである。

(二)  被控訴人は前記被控訴人の陳述欄(五)記載のとおり、控訴人の陳述の訂正に異議を述べるけれども、控訴人が昭和四〇年八月二五日被控訴人に対し本件売買代金の内金一〇〇万円を支払つた事実はもともと当事者間に争いがなかつたところ、控訴人は当審において一旦これを「現金九三万円を支払い、その余は同年九月分賃料七万円を充当する約であつた」と訂正し、これを被控訴人が認める以前更に「賃料収入たる現金七万円と他の現金九三万円合計金一〇〇万円を支払つた」と訂正したのであつて、結局右金一〇〇万円がどのようにして調達されたかに関し陳述の訂正がされたにすぎず、いわゆる自白の取消、時機に遅れた攻撃防禦方法の提出に当るものとは認められないから、被控訴人の右訂正に対する異議は理由がない。

(三)  よつて、まず、本件売買代金額につき判断するに、原審証人鳥居正吉の証言、当審における控訴本人の供述並びに本件売買の目的物件たる家屋からは当時毎月金七万円の賃料収入を挙げ得べきものとされていたことが前掲鳥居証人の証言によつて明らかである事実を総合すると、本件売買代金額は控訴人主張の如く金三〇〇万円であつて、内金一〇〇万円は前示公正証書作成前既に売主被控訴人の代理人である夫訴外矢部謙吉に支払済であつたため、右公正証書面では税金対策もあつて、双方合意の上残金二〇〇万円を売買代金総額として表示したにすぎないものと認め得る。いずれも成立に争いない甲第一号証、同第二号証の一、二、乙第七号証の各記載も前掲各認拠と対比し右認定を左右するに足りず、原審並びに当審における被控訴本人の供述中右認定に反する部分は当裁判所のたやすく信用し難いところである。

(四)  ところで、右代金三〇〇万円の内金一〇〇万円が前示公正証書作成前既に支払済であつたことは前認定のとおりであり、更に右作成の時金一〇〇万円の支払があつたことおよびその後残代金内金として合計金三〇万円の支払があつたことはいずれも前判示のとおり争いのないところであるから、結局本件売買残代金債務は以上の各内払により金七〇万円となつていたものといわなければならない。

(五)  次に昭和四一年四月二〇日被控訴人が控訴人に対し右残代金七〇万円を同年同月二四日まで支払うべき旨催告したに拘らず控訴人においてこれに応じなかつたことは、原審における被控訴本人の供述の一部および成立に争いのない甲第二号証の一、二によつて推認できるのみならず、被控訴人がこれを理由として控訴人に対し同年五月一九日本件売買契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いのないところであつて、特別の事情の認め難い本件では右解除の結果として本件建物所有権は当然被控訴人に復帰したものと認めるのが相当である。

(六)  控訴人は「昭和四一年四月頃(イ)特約にもとづき、そうでなくとも慣行にもとづき、売主が自ら費用を負担して得べき地主の承諾と、買主である控訴人において自ら金二〇万円を支払つて得たことによる右金二〇万円の事務管理費用償還請求権、(ロ)特約にもとづき被控訴人が控訴人のため本件建物借家人らから取立てた昭和四〇年一一月分から同四一年三月分まで月金七万円の割合による家賃収入金二八万円および被控訴人が右特約にもとづかずして控訴人のために取立てた昭和四一年四月分の家賃収入金四万二〇〇〇円、以上合計金三二万二〇〇〇円の取立済家賃支払請求権、(ハ)被控訴人が本件建物賃貸人として右賃借人の一人である訴外西川正三から先払を受けた昭和四一年四月分から同年一二月まで毎月金二万円の賃料合計金一八万円に相当する債務不履行による損害賠償請求権の内金一七万八〇〇〇円の請求権、以上(イ)(ロ)(ハ)合計金七〇万円の債権を自働債権とし、本件売買代金残債務を受働債権として被控訴人に対し相殺の意思表示をした。なお、右(ロ)(ハ)合計金七〇万円の債権による相殺については前記公正証書第八条明記の相殺契約もある。」旨抗弁するけれども、控訴人主張の頃その主張のような相殺の意思表示があつたことを認めるに足りる証拠はなく、成立に争いない甲第一号証によつても控訴人主張のような相殺契約の存在を肯認し得ないから、右各抗弁は、自働債権の存否に立入るまでもなく排斥を免れない。

(七)  控訴人は、また「被控訴人は前記(イ)の如く自ら地主の承諾を受くべき特約上、慣行上の債務を負いながら、これを履行し又は履行の提供をすることなくして残代金の支払を催告したのであるから、かかる催告は効力なく、これに基づく解除は無効である。仮りにそうでないとしても、この金二〇万円を差引かずに被控訴人主張の如き催告をするのはいわゆる過当催告にあたるのみならず、右催告に応じないからといつて本件売買契約を解除するのは権利の乱用でもある。」と抗弁するけれども、被控訴人が控訴人の主張するような特約上の義務を負つていたという当審における控訴本人の供述は当審における被控訴本人の供述と対比しにわかに信用し難いのみならず、他にこれを認むべき証拠はなく、また右のような義務を売主が負担すべき慣行があることを肯認すべき資料もないから、被控訴人にこのような義務のあることを前提とする控訴人の各抗弁は他の点につき判断するまでもなくすべて失当として排斥を免れない。

(八)  なお、控訴人は昭和四一年一一月一〇日午前一〇時の原審口頭弁論期日において、前記(四)掲記の(イ)(ロ)(ハ)の如き自働債権による相殺の抗弁を改めてしており、右のうち(ロ)(ハ)の自働債権の存在は、成立に争いない甲第一号証(特にその第五条、第八条の記載)原審証人鳥居正吉の証言、当審における控訴本人の供述の各一部、これらによりいずれも真正に成立したと認め得る乙第八号証、同第九号証(ただし、後者の家賃収入金額の記載その他が必しもすべて正確とは断じ難い。)によつてこれを推認するに難くないけれども、控訴人主張の相殺契約があつたことおよび控訴人が昭和四一年四月頃被控訴人に対しその主張の如き相殺の意思表示をしたことはいずれもその証拠がないこと前示の如く、また、他に、本件契約解除の日である昭和四一年五月一九日以前相殺をしたことの主張立証の存しない本件においては、原審口頭弁論における前記相殺の効力を認め、さかのぼつて本件売買契約解除の効力を否定するわけにはいかない。けだし、相殺の効果は本来相殺適状の時にさかのぼるとはいえ、相殺適状の生じた後相殺の意思表示がなされる前本件売買契約の解除が行われてしまえば、相殺の受働債権である本件売買残代金請求権は既に消滅に帰したものであつて、もはや相殺そのものが要件の欠缺により効果を生じ得ないことになるからである。それ故控訴人の原審口頭弁論期日における相殺の抗弁もまた採用し難い。

(九)  最後に、控訴人が当審であらたに提出した同時履行の抗弁につき判断するに、以上(六)ないし(八)説示のとおり控訴人の各抗弁がいずれも理由なく、前記(五)の契約解除が有効であるとすれば、右解除にもとづく原状回復義務として控訴人は被控訴人から既に受けた前判示所有権移転登記の抹消登記手続をすべき義務を負うが、この義務は、被控訴人が既に支払を受けた前認定の金二三〇万円を控訴人に返還すべき義務といわゆる同時履行の関係に立つべきものであることが明らかであるから、控訴人の右同時履行の抗弁は理由がある。

もつとも、被控訴人は本件においてもともと単純に右抹消登記手続を控訴人に求めたものではなく、既に支払を受けた金一三〇万円と引換に右抹消登記手続を請求したものであるから、控訴人の右同時履行抗弁の結果右請求は金二三〇万円と引換に右手続を求める以上に利益な裁判を求める限度において失当として一部棄却を免れない。

(一〇)  よつて、被控訴人の請求を全部認容した原判決を主文第二、三、四項の如く変更することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙

目録

東京都北区王子二丁目六番地八〇の仮換地

家屋番号 六番八〇の二

一、木造セメント瓦葺二階建店舗 一棟

一階 三三・九八二平方米(一〇坪二合八勺)

二階 三三・九八二平方米(一〇坪二合八勺)

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